「原爆の対局」は、1945年8月4日・5日・6日に広島県五日市町(広島市の隣の町、現在は広島市佐伯区)で行われた第3期本因坊戦第2局(橋本宇太郎vs岩本薫、橋本白番五目勝ち)のことである。
私の手元に『囲碁一期一会 橋本宇太郎』(なにわ塾叢書)という書物がある。
「なにわ塾」というのは、文化講座のようなものなんだろう。
そこで橋本宇太郎が5回にわたって講演した内容を書籍化したのだと思う。
第一回講座のタイトルは「原爆下での対局」となっている。
この本の中で語られている橋本宇太郎の言葉を全て載せることは出来ないので、私がその内容を少し書いていこうと思う。
(1945年、8月6日のことである。この対局は8月4日から始まったので、8月6日は3日目ということになる。形勢は、橋本が有利だったらしい)
「対局場で昨日までの碁を並べようとしたときに空襲警報が出て、しばらく待っていた」
「しばらくすると空襲警報が解除になった。それで昨日までの碁を並べ始めた」
「空襲警報が解除になっているのに、一機だけ(アメリカの)飛行機が広島市の上空を飛び回っていた」
「誰かが『おかしいな』と言った」
「みんなでそれをしばらく見ていた」
「そのうち、落下傘がパッと開いたのが見えた」
「『故障か何かでパイロットが飛び降りたんじゃないか』というようなことを言いながら見ていた」
「しかし、(落下傘は)ものすごくゆっくり降りてくる」
「(昨日までの碁を)少し並べかけたとき、部屋が真っ白になった」
「ちょうど、マグネシウムを焚いたときの感じだった」
「それからしばらくしてドーンという音と一緒にものすごい爆風が飛び込んできた」
「(部屋の)窓ガラスは飛ぶし、鴨居が落ちてきた」
「気がついたら、(橋本は)庭に出ていた」
「(岩本は)碁盤の前に座ったままだった。(立会人の瀬越は)床の間のところにいた」
「それから(碁を)打ち始めて、昼食も済ませて、3時何分かに打ち終わった」
「連れ立って外へ出ると、広島市内から帰ってくる人と出会った。気の毒で見ていられないほどの姿だった」
橋本宇太郎の話はこの本の中にまだまだあるのだが、今回はここまでとしたい。