↓下の本を読まれたことがあるだろうか?囲碁ファンなら楽しめる本である。
↑ 小説家・近藤啓太郎が書いた「勝負師一代」という書物である。
坂田栄男と一時期親しくしていた近藤が坂田について書いた本である。
この本の中で近藤が和服と対局に関する考えを述べている部分があるのでここで紹介したい。
昭和49年・第29期本因坊戦(石田芳夫vs武宮正樹)第6局の観戦記を毎日新聞が近藤に依頼して、近藤は石田本因坊vs武宮挑戦者の対局を見たときに、彼は以下のように記している。
(『勝負師一代』219ページより)
第二十九期本因坊戦、第六局の対局場は、箱根強羅の「石葉亭」である。対局室のガラス障子の向こうには、箱根の深い緑が、梅雨に煙っている。七月十日、午前九時前、石田秀芳本因坊と武宮正樹七段は共に背広姿で、碁盤を中に対座した。
二人とも背広姿の点、私は気に入らなかった。伝統のある本因坊戦や名人戦のときは、紋服姿で対局してほしい。
私にとって大勝負の観戦は、十二、三年ぶりのことであった。坂田栄寿と藤沢秀行の対局以来のことである。坂田と藤沢は紋服姿に威儀を正し、いかにも名人戦にふさわしかった。本因坊戦も対局開始の時点においては、紋服姿を望みたい。
おそらく、林海峰が名人戦の挑戦者になって以来、伝統的な服装は崩れたのであろう。中国人の林に紋服を強いるのは無理だが、中国古来の礼服を望むことは決して無理でない。日本棋院の怠慢ではないのか。
対局開始以後においては、羽織袴を脱ぎ捨てて、碁の打ちやすい服装であることが望ましい。が、対局開始の時点は一種の儀式と見做して、形式を尊ぶべきである。
私は元来、形式主義の嫌いな性質であるが、といって形式をすべて無視してよいとは思わない。結婚式場の神官が背広姿では、さまにならぬ。相撲取りが坊主頭では、感じが出ないであろう。
上の文章を読んで、どう思われるであろうか。1974年に書かれた観戦記だから、今から45年ほど前の文章である。
現在の囲碁の対局で、対局者が和服を着ることは全く(あるいはほとんど)見られなくなっている。
しかし将棋の番勝負においては、対局者は和服を着ることが原則となっている。規則で決まっているわけではないが、ほとんどの対局者は和服を着ている。
「重要対局と和服」に関しての私の意見は、
【囲碁と将棋】タイトル戦の番勝負に和服は必要か。 - 令和に囲碁と将棋を語る
を参照していただきたい。
ただ、今回の記事で紹介した近藤啓太郎の意見も、なかなか興味深いものがある。
このテーマについては、また別の機会にとりあげたい。