【囲碁】坂田栄男からみた昭和の各棋士たち(その1)
勝つ―碁と根性 (1965年) という書物がある。昭和のタイトル王・坂田栄男の著書である。その中に、坂田からみた各棋士の印象が書かれているので、数回にわたって紹介しようと思う。
【注意】この本の発行年は「1965年(昭和40年)7月1日」である。つまり、坂田が名人本因坊であった頃の、彼が絶頂だった頃の本である。そのことを念頭においたうえで読む必要があると思う。
今回は、呉清源と木谷実についての坂田の感想を紹介する。 『勝つ』(坂田栄男・著 徳間書店 昭和40年7月1日発行)(104ページから110ページ)より
【呉清源】
現代の碁界に、この呉九段ほど貢献している人はまず少ない。昭和の囲碁史では一番光っていると思う。
かつては、着想が他の追随を許さず、鋭さも天下一品だったことは疑いの余地はないので、日本の棋士はこれに啓発され負うところが多かった。
しかしその後他のものがおいついてきたことと、呉さん自身がオートバイ事故(昭和36年)という不慮の災難に会い、それを契機に今までの冴えが見られなくなったのは、本人はもとより碁界の遺憾事である。
大正三年生まれで、まだ年齢の限界というわけではないから、特に淋しく感じられる。 ただ、いままでは、日本の棋士が呉清源という名前におびえていた点もあったけれども、それがだんだんとり除かれてきたこと、実際において技術的に追いついてきたことも否定できないことだ。
しかし、もともと天才型であるうえに努力型で、この人ほど勉強しているものも少ないのだから、すぐれた才能にものをいわせてカムバックする余地は十分に考えられる。このまま芸が衰えるとは思えない。
ただハッキリといえることは、呉さん自体が昔ほど打てなくなったとしても、いままでの功績がこれで消えるわけではないし、よしいまの名人位をとれなくても、一時代を劃した人物には違いないのである。
【木谷実】
筋金入りの碁というのが、この人の碁である。本当に鍛え抜いた芸というような感じで、そういう意味では非常に安定している。
ただこの人も病身なのが惜しまれるのと、ある意味の勝負運がわるくて、大きなタイトルをとっていないけれども、それでいて昔からそれらのリーグ戦から落ちたことがない。これはよっぽど安定していないとできないことで、大した力だといわなければなるまい。
前には呉清源九段とともに、新布石時代を築いたことは有名だが、いまでも独特の芸風で、やっぱり地味というよりも、木谷流に地をとって、相手の模様の中になぐりこみをかけるというようなだれもマネのできないことをやり、ツボにはまると無類の強さを発揮する。