麻雀というのは
誰にでも勝つチャンスがあるように見える。
だから勝負が成立する。
(中略)
つまり、
すぐに負けを認めたり引き分けでいいと思う人間から、
金は取れないということだ。
(押川雲太朗作『Let’s go ! なまけもの』第56話 より)
前半部分は、麻雀だけでなく他のことにもあてはまるかもしれない。
株なんかはどうだろうか?
その時のめぐりあわせで、誰でも勝つ可能性がある(負ける可能性もあるが)。
「株は必ず負けるものだ」と大多数の者が思えば、株をやる人は数えるほどになってしまうだろう。
多くのゲームやギャンブルにも、上のセリフはあてはまる。
「自分は勝つ」「勝つチャンスがある」と感じる(或いは信じる)ことができるから、懲りずにゲームやギャンブルにのめりこむ人が後を絶たないのだろう。
私はギャンブルはもうやめたが、株はやっているし、当分の間はやめる気を起こさないだろう。
個人的に株に面白さを感じているせいもあるし、老後の経済状況を良くしたいという必要性や欲望もあるが、それだけが理由ではない。
「俺でも勝つチャンスがある」と信じているからだろう。
その信念に確たる根拠はないのだが。
上記セリフの後半
すぐに負けを認めたり引き分けでいいと思う人間から、
金は取れないということだ。
このセリフは、普段の自分には気づかない言葉である。
「すぐに負けを認める」というのは敗者の考え方かもしれないが、それと同時に「賢者の考え方」ともいえる。
なぜなら、すぐに負けを認めて引き下がれば、それ以上の負けの拡大を防ぐことができるし、それ以上の時間の浪費を防ぐことにもつながるからである。
株やギャンブルやゲームだけではない。
恋愛、受験、資格取得や各種試験、職場の選択などなど、「負けを認める」ということの有用性は、確かにあると思う。