【囲碁】本因坊秀哉のエピソード:明治時代の棋士は大変だった
1874年(明治7年)生まれの1940年(昭和15年)死去となっている。
大正時代から昭和10年代までの第一人者であった。
その秀哉先生も、若い頃は経済的に恵まれない時期があった。
秀哉先生の父は内務省勤務の官僚であり、伯父は貴族院議員であるから、家が貧しかったのではなく、碁打ちという職業が経済的に恵まれない仕事だったのだろう。
こういうエピソードが残っている。
「自分(=秀哉)が若い頃は、泥棒以外のことはなんでもやった。」
「賭け勝負に雇われ、天井裏にひそんで教えてやったことがある。あるとき、一回寝てしまって怒られた」
「マッチ棒一本あれば助言できる」
(引用:現代囲碁体系第二十巻 藤沢朋斎 上)
秀哉先生の若い頃だから、今で言えばプロ低段くらいの頃だったのだろうか。
さすがに、今の院生や若手プロは、こんなことはしないだろうし、する必要もあるまい。
現在の方が物質的に恵まれているし、明治時代よりも棋士の待遇も良いだろう。
ただ、囲碁ファンが減り、スポンサーが減っていくと、今の棋士もどうなることやら。
今後、上のエピソードのようなことが起こらないことを願ってやまない。